新刊の宣伝
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新刊の「ウィキノミクス」を読書中。
全部は読んでいないが、ネットのもたらす最前線の影響について述べている。
これによると、史上初めて、自発的な個人レベルの参加による大規模マスコラボレーションが可能な時代となり、このオープンな力を使わない企業は、いよいよ生き残っていけない時代が到来したという。
コンピュータ計算力(とネットワーク力)の増大が、低廉安価な個人の情報発信を実現し、国境を超えて集合知をもたらすようになってきた。
ネットも、単なる閲覧サイトを開設したところは敗れ去り、多くの個人が参加できる広場(プラットフォーム)を作ったところが隆盛している。
私が思うに、今までのIT革命は「情報技術」革命だったが、おそらくここから先はワークスタイル、ライフスタイル全般を包含した「社会革命」のステージに入ってくるのだろう。
こうなると、「技術」プラス「社会」に対する洞察力が鍵となる。
文系理系の区別はいよいよ弊害のほうが大きくなり、本書の主張するコラボレーションが大事になってくるのだが。
(それにしても、本書を通して、ソニーがかなりの悪者になっていることが気にかかる)
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なんと、gooの「これから10年で発明されて欲しいもの」ランキングに、一昨年のプロジェクト「50年後の日本」の中から、「考える土」(スマートソイル)が、堂々第2位ランクイン(!)しました。
http://news.goo.ne.jp/article/gooranking/business/it/20070325-grnk.html
http://ranking.goo.ne.jp/ranking/999/invention_10year/&f=news&LID=news
見ている人は見ているということでしょうか。週刊エコノミスト1/16号が、「大学淘汰」という特集を組んでいる。
それによると、少子化問題はついに一線を越えて、今07年春から、「大学全入時代」へと突入。
私立大学は過当競争に陥り、また地方大学も定員割れが現実のものになってきた。
それを受けて、生き残り策が顕在化している。
たとえば慶応大学による共立薬科大学の吸収に見られるように、大学の淘汰・再編・合併が本格化してきた。
産業界でも、紙パ、食品、交通など成熟産業、国際競争力が低下した電機業界、などすでに大再編に入っている。
夕張市ではないが、地方経済の立て直しも急務だ。
こうなると、日本全体がシュリンクする中、あらゆる分野でリストラクチャリングが求められており、大学もその大きな流れに抗うことは不可能な状況だ。
国立大学わけても東京大学は、まだブランドや授業料、立地といったところで、定員割れ問題とは無縁だろうが、安穏としていれば、長期的にこうした奔流に巻き込まれる可能性はある。
今のところ、総合大学から見た再編シナリオは、自分に足りない学部を補完することが中心のように見える。(東大の小宮山総長のインタビュー記事で、「できれば芸術学部、女子大と合併したい」といっているのが、面白い)
が、産業界の業界再編のアナロジーから言うと、そのうち、「集中と選択」により、世界ナンバーワンの学部・学科をどれくらい持っているか、ということが問われる時代が来ると思う。
大学経営の激変も、まだ前哨戦に過ぎず、これからが本格的な大再編の時代のように思われる。
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(昨日から承前)
昨日、「GPL」ライセンスについて、これはフリーウェア(無償配布)を支えるライセンス形式だということを書いた。
この根底には、有用なソフトは無料で幅広く使われるべき、という「自由」の哲学がある。
しかしながら、世の中、やはりソフトウェアでビジネスをやりたい、という人や企業は多い。
すると、こういう人たちにとっては、GPLライセンスは使いにくい。
ひとたびGPLライセンスのコードを、自分の開発したソフトのプログラムに組み入れると、その改良ソフトもまた、同じように無償配布を要請されてしまうのだ。
俗に「自由が感染する」という形式のライセンスである。
そこで、オープンソースであっても、もっと商用化、有償ビジネスに適したライセンス形式が無いか-ということで、浮上してくるのが「BSD」ライセンスである。
BSDライセンスのソフトは、もとの著作権を表示をしてくれさえすれば、それを改良し再配布する際には、ブラックボックス化や有償化が認められる。
こうなると、BSDのほうがビジネス向けには、普及しやすいかもしれない。
そこで、大学の研究で新しいソフトを作るときに、他のオープン・ソフトのコードを一部組み込んで作った-というような場合、その新ソフトを産業界に移転する際は、よほど気をつけないといけないだろう。
もとのオープン・ソフトがGPLだと大学から産業界への有償移転が難しくなるし、あるいはBSDであればきちんと著作権の表示など手続きを踏む必要があるからだ。
ソフトウェア・ライセンスは、単に大学のライセンスをどうするかということだけでなく、オープンソースも含めたより大きなパースペクティブに位置づけながら、考えていくことが必要になると思われる。
「オープンソースがなぜビジネスになるのか」進藤美希、MYCOM新書、を読む。
最近、産学連携においても、大学で開発されたソフトウェアやアルゴリズムを、どのように産業界に移転するか、が課題となってきた。
様々な物質やデバイスなどと違って、ソフトウェアは特許をとること自体が難しい。
そのため、あるソフトウェアに関して、大学の権利をどのように保護したり、あるいは寄与度をどのように見積もるかは、きわめて難しい問題だ。
一つの考え方は、ソフトウェアを、特許ではなく著作権で保護する、というものだ。
その初期の提唱者が、MIT・AI研の研究者リチャード・ストールマン氏だというのは、本書を読んで初めて知った。
80年代、数学のカーマーカー法の特許が認められ、ソフトウェアは特許か著作権かが議論されたころ、同氏が学会などで著作権保護の立場を打ち出し、議論に影響を与えたといわれる。
さらに同氏の貢献は、強力なフリーソフトウェアのライセンス形式であるGPLを生み出したことである。
GPLライセンスを志向したソフトウェアは、著作権を開発者に残した上で、利用や配布、修正は自由、さらには修正物もまた同じように利用や配布の自由を認めなければならない、という仕組みである。
現在のオープンソースの中核をなす考え方であり、これ無くしては、現状のITベンチャーが成り立たないほどの影響力を与えている。
大学においても、公共性という観点から言えば、ソフトウェアの無償配布という考え方と適合する部分も大きい。
一方で、ソフトウェア自体は無償としてしまうと、これをどのようにビジネスに結びつけるか、というのが問われるところである。
大学も知的資産の権利を守ってこれを拡大していく、という考え方を取るとすると、同じ問題に直面する。
ソフトウェアにおいては、どこまでをフリーライセンスとし、どこからを有償とするのか、あるいはメンテナンスやバージョンアップを含めてビジネス化の機会と責任を誰がどのように負うのか、といった問題を、今後考えていく必要があるだろう。
(6月20日から承前)ビル・ゲイツ会長が引退を表明し、慈善事業への方向転換を明らかにした。
すぐに、稀代の投資家ウォーレン・バフェット氏が、ゲイツ財団に4兆円もの巨額寄付を行うというニュースも続いた。
功なり名を遂げたひとたちが、慈善事業に乗り出すというのは、米国文化の一つになっている。
納税してどこに使われているのか分からなくなるよりも、慈善に関しては自分たちでお金の使い道を差配しようというわけだ。
民間の市場で稼いだお金が民間で慈善にまわるというシステムで、実際米国の税制もこうした寄付行為を後押ししている。
大学なども、ずいぶんとこの恩恵を受けている。
この大学への寄付行為に絡んで、というわけでもないが、「Google誕生」を読んでいて、ちょっとした皮肉を発見した。
1996年に、Google創業前のブリン、ペイジ両氏がスタンフォード大学で研究を行っていた建物の名前が、「ウィリアム・ゲイツ・コンピュータ・サイエンス」なのである。
(ゲイツ360号、というのが彼らに割り当てられた部屋だった)
いわずと知れた、ビル・ゲイツ氏の寄付による建物だ。
いってみれば、後の最大のライバルになる学生たちに、建物を提供したのは、ゲイツ氏本人というわけだ。
ある意味、Googleの存在が自らを引退に追い込んだとも言えるから、皮肉といえば皮肉ではある。
しかしながら、個人的な確執は別として、同氏が建物の寄付にあたって発した言葉「この産業の未来に投資するため」という目的は、まさに劇的に果たされたわけである。
マクロ的に見るなら、これによって米国のコンピュータ・サイエンスは世界をいよいよ圧することになった。
ある企業(起業家)の成功が、慈善(寄付行為)や大学など様々な経路を通って、さらに先鋭的な技術と企業(起業家)を生む。
このスパイラルが、産業と技術革新のひとつの理念形でもあるのだ。
(6月15日から承前)「Google誕生」を読んで、気が付いた点の三番目。
徹頭徹尾、テクノロジー指向で成功した企業であること。
何をあたりまえのことを、と言われそうだが、よく考えると、これはすごく不思議なのである。
なぜなら、一般的に、テクノロジー系ベンチャー企業が、自社技術に溺れて失敗することは、非常にしばしば見受けられるからである。
開発者は自分の技術に自信があるのが普通だ。
往々にして「良い技術は必ず売れるはずだ」と思いこむ。
実際に、それくらいの思いこみがないと、開発者などやってられない。
しかし、それ故、唯我独尊に陥り、市場を置き去りにしてしまいがちだ。
Googleのケースでも、長らくお金をどう回収するのか、ビジネスモデルは不在だった。
特に創業者メンバーたちが、当時ポータルで流行していたバナー広告(既に当時、ごてごて、けばくなっていた)の掲載を拒否した、というに及んでは、ベンチャー・キャピタルも頭を抱えていたことだろう。
技術の良さは認めながら、どうやって課金を行うのかは、しばし試行錯誤が続くのである。
もちろん、この間は、現金消耗が続く。
おそらく、当事者達を支えたのは、ページランク検索という売り物の技術が、(無償ではあったけれど)利用者の支持を得ていたことだと思われる。
また、ホストではなく、自作サーバーの増設で、容量拡張が容易なシステムを組み上げていたという先見性もあった。
検索エンジンの利用者の支持と、システムの拡張性-この二つの優れた技術で、準備万端の体制を整えていたからこそ、後は最後の一押し、パズルの最後のワンピースを、待つ状態にあったのだ。
そして、具体的には、新しいビジネス・モデル -検索キーワード連動型広告- が導入された途端、爆発的な成長が実現したのである。
これ自体は他社によって開発されたものだが、あたかも自分が発明したかのように、自家薬籠のものとすることができたのも、技術がぎりぎりまで煮詰まっていたからだろう。
もし、キーワード連動広告というモデルが現れず、今でも誰も気が付かなかったとしたら?
その時は、ちょっと優れた検索エンジンの会社があったね、ということで、Googleは消滅しているだけのこと。
こうしてみると、優れた技術、利用者の支持、先見性、にビジネスモデルと、最後にタイミングと運の良さまで含めて、誠に成功への道はナロー・パスと言わざるを得ない。
だが、それ故にこそ、チャレンジの醍醐味は、他を圧するものとなるのだ。
Google黎明期の話を読んで、気が付いたことの二点目。
それは、大学の先生と、エンジェル投資家のコネクションである。
Googleの場合、具体的にはスタンフォード大学人脈ということになる。
創業者であるブリンとペイジが、意を決してベンチャー企業を立ち上げようとしたとき、真っ先に直面したのが、最初のシード・マネーをどうするか、ということだった。
検索エンジンの理論とプロトタイプは出来ていても、これを実際に運用するには多くのサーバーが必要だ。
しかし資金がなければ、それすら揃えられない。
ベンチャー・キャピタルの出番は、まだまだ後の話。
本当の最初の最初、海のモノとも山のモノともしれない研究生にお金を出してくれる人などいるのだろうか?
同書によると、見かねた担当教授が個人投資家を紹介し、彼が切った10万ドルの小切手が資金面でのスタートだったということである。
しかも、これは、ただの投資家ではない。
この投資家-ベクトルシェイム氏-は、サン・マイクロシステムズの共同創業者であり、後にはベンチャー企業を興して、これをシスコ・システムズに売却し、そのまま副社長に納まった、という経歴だ。
言うまでもなく、サン・マイクロシステムズ自体が、スタンフォード大学発ベンチャーであり、このベクトルシェイム氏が同大学OBであろうというのは、ほぼ想像が付く。
すなわち、大学人脈によって、成功した起業家-教授-研究生という線が結ばれてたのだ。
成功したベンチャー起業家は、次代を担う若手起業家に個人的な援助を行う。
その仲介を、大学教授が積極的に買ってでる。
投資家は、教授のテクノロジーに関する助言に信頼を寄せる。
また教授もこの投資家の技術の目利き能力や産業に貢献する力を信頼している。
なかなか、ここまでのネットワークや信頼関係は、日本にはまだまだ無いと思う。
実際、投資家になるような成功した起業家は、米国に比べて少ない。
先生の方も、学生や研究生の就職の世話で精一杯、という状況だ。
いつの日か、日本でも、「あの投資家なら、君のベンチャーに資金を出してくれるんじゃないか」と教授に言ってもらえるような、そういう投資家(もと起業家)が輩出されて欲しいと思う。
そのためには、大学技術を活用した第一世代ベンチャーが、少なくともあと景気一サイクル(5年くらい?)ぐらいは活躍して、成功体験を蓄積していく必要があるように思われるのだ。
東京大学産学連携本部アシスタントのスゥです。
今日は、ちょっと宣伝で~す♪
東京大学と野村證券の共同研究による「50年後の未来」を描くプロジェクトが本になりました。
『図説 50年後の日本』 東京大学・野村證券共同研究 「未来プロデュースプロジェクト」著 三笠書房 定価1300円(税別)
東京大学の工学・理工学・医学・農学などの最先端の研究者15人が、50年後の産業・生活・世界を、できる限り科学的根拠に基づいて描いています。
そのアイデアは、宇宙空間までエレベータで行くことができる「軌道エレベータ」、行き先を告げるだけで目的地まで飛んでいく「エアーカー」、タンスと洗濯機が一体化した「バイオミストボックス」、服の上から一枚着るだけで病気がわかる「透視診断シャツ」などなど盛りだくさん(投資診断シャツではありませんのであしからず。でもあったらほしい‥)。
実はこのプロジェクト、私も五内川さんもかかわっていました。始動は2004年春で、2005年の秋にやっとまとまり、集大成として安田講堂でシンポジウムを開催しました。その反響が大きく、このたび三笠書房さんから書籍として出してもらえたのです。
かなり読みやすく編集されているので、ぜひお手にとってみてくださいね。
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「Google誕生~ガレージで生まれたサーチ・モンスター」デビット・ヴァイス著、イースト・プレス社、を読む。
最近は、Google関連本が大流行だ。
日本でGoogleブームに火を付けた梅田望夫氏の「Web進化論」、検索エンジンの歴史をたどった「ザ・サーチ」から始まって、Googleの利用本なども加えると、百花繚乱の状況になっている。
こうした中、本書「Google誕生」は、Googleのインサイド・ストーリーを追う、いわば社史的な書籍と位置づけられる。
もちろん、Googleと検索エンジンの物語は今なお進行形であり、その意味ではGoogle史の中間報告と言えるだろう。
ともあれ、本書にはGoogle黎明期の様子が描かれており、そこに産学連携のヒントも潜む、というわけだ。
(故に、本ブログでも取り上げる意味が生じる)
いろいろ、気が付いたことはあるが、まず第一に指摘したいのは、スタンフォード大学とGoogle創業者たちの関係である。
言うまでもなく、同社の創業者ラリー・ペイジとサーゲイ・ブリンは、スタンフォード大学の研究者だ。
その技術的天才ぶりは、随所に描かれている。
しかし、本書によれば、二人は決して、最初からベンチャー企業を起こそうとしたわけではない。
ページ・ランクによる検索システムは、当初、有力ネット企業へのラインセンスを模索され、それが失敗に終わったために、やむなくベンチャー化したのである。
当然、大学における研究者としての道を歩むのか、はたまた、自分たちの発明を広げるために起業する、という冒険的な道に乗り換えるのか、そこはいろいろな葛藤があったようだ。
こうしてみると、シリコンバレーといえども、我々日本人がイメージするような、隙あらば喜んでバンバン会社を起こしていく、ということではなく、やはり、キャリアについて悩む人間の姿があるように思われる。
やはり高度資本主義社会の人間の悩みは、共通なのだ。
もちろん、ひとたび起業を決断しさえすれば、初期資金をぽんと出すエンゼルの登場や、IT業界に精通した専門ベンチャー・キャピタルとの出会いなど、分厚いシリコンバレーの資源がフル活用されていく。
ここから学びとれるのは、多様なキャリア・パスの存在であり、才能さえあれば、どのような道を取ろうとも、第一級の人々との協業が可能になる、という社会である。
翻って、日本の現状を見ると、20歳代半ばにして、アカデミズムと産業界(それも大企業指向で)の二者択一を迫られ、その後のパスが限定されてしまうように思われる。
ポスドクが余っている、という話も聞こえる昨今、我が国においても、大学、大企業、ベンチャー、さらにはサポート産業(ベンチャー・キャピタル、知財関連、コンサル、政策立案・・)など、乗り換え可能な多様なパスを用意することは、喫緊の課題と思われる。(続く)
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