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2006年9月29日 (金)

「オープンソースがなぜビジネスになるのか」②

(昨日から承前)

昨日、「GPL」ライセンスについて、これはフリーウェア(無償配布)を支えるライセンス形式だということを書いた。

この根底には、有用なソフトは無料で幅広く使われるべき、という「自由」の哲学がある。

しかしながら、世の中、やはりソフトウェアでビジネスをやりたい、という人や企業は多い。

すると、こういう人たちにとっては、GPLライセンスは使いにくい。

ひとたびGPLライセンスのコードを、自分の開発したソフトのプログラムに組み入れると、その改良ソフトもまた、同じように無償配布を要請されてしまうのだ。

俗に「自由が感染する」という形式のライセンスである。

そこで、オープンソースであっても、もっと商用化、有償ビジネスに適したライセンス形式が無いか-ということで、浮上してくるのが「BSD」ライセンスである。

BSDライセンスのソフトは、もとの著作権を表示をしてくれさえすれば、それを改良し再配布する際には、ブラックボックス化や有償化が認められる。

こうなると、BSDのほうがビジネス向けには、普及しやすいかもしれない。

そこで、大学の研究で新しいソフトを作るときに、他のオープン・ソフトのコードを一部組み込んで作った-というような場合、その新ソフトを産業界に移転する際は、よほど気をつけないといけないだろう。

もとのオープン・ソフトがGPLだと大学から産業界への有償移転が難しくなるし、あるいはBSDであればきちんと著作権の表示など手続きを踏む必要があるからだ。

ソフトウェア・ライセンスは、単に大学のライセンスをどうするかということだけでなく、オープンソースも含めたより大きなパースペクティブに位置づけながら、考えていくことが必要になると思われる。

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2006年9月28日 (木)

「オープンソースがなぜビジネスになるのか」

「オープンソースがなぜビジネスになるのか」進藤美希、MYCOM新書、を読む。

最近、産学連携においても、大学で開発されたソフトウェアやアルゴリズムを、どのように産業界に移転するか、が課題となってきた。

様々な物質やデバイスなどと違って、ソフトウェアは特許をとること自体が難しい。

そのため、あるソフトウェアに関して、大学の権利をどのように保護したり、あるいは寄与度をどのように見積もるかは、きわめて難しい問題だ。

一つの考え方は、ソフトウェアを、特許ではなく著作権で保護する、というものだ。

その初期の提唱者が、MIT・AI研の研究者リチャード・ストールマン氏だというのは、本書を読んで初めて知った。

80年代、数学のカーマーカー法の特許が認められ、ソフトウェアは特許か著作権かが議論されたころ、同氏が学会などで著作権保護の立場を打ち出し、議論に影響を与えたといわれる。

さらに同氏の貢献は、強力なフリーソフトウェアのライセンス形式であるGPLを生み出したことである。

GPLライセンスを志向したソフトウェアは、著作権を開発者に残した上で、利用や配布、修正は自由、さらには修正物もまた同じように利用や配布の自由を認めなければならない、という仕組みである。

現在のオープンソースの中核をなす考え方であり、これ無くしては、現状のITベンチャーが成り立たないほどの影響力を与えている。

大学においても、公共性という観点から言えば、ソフトウェアの無償配布という考え方と適合する部分も大きい。

一方で、ソフトウェア自体は無償としてしまうと、これをどのようにビジネスに結びつけるか、というのが問われるところである。

大学も知的資産の権利を守ってこれを拡大していく、という考え方を取るとすると、同じ問題に直面する。

ソフトウェアにおいては、どこまでをフリーライセンスとし、どこからを有償とするのか、あるいはメンテナンスやバージョンアップを含めてビジネス化の機会と責任を誰がどのように負うのか、といった問題を、今後考えていく必要があるだろう。

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2006年9月26日 (火)

米国特許、先発明主義から先願主義に転換

米国が、特許の扱いに関して、「先発明主義」から「先願主義」に転換する、と報道されている。(9月26日の日本経済新聞朝刊一面)

http://www.nikkei.co.jp/news/kaigai/20060926AT2M2500X25092006.html

確かに、これは画期的なことではある。

日本や欧州では、先に出願した方に特許を与える「先願主義」であったが、米国は誰が先にその発明をしたのかを特定して特許を与える「先発明主義」であった。

特許を認める基準に世界標準がなく、米国vs日欧に分断されていたため、これまでも様々な悲喜こもごもがあった。

よくステルス特許などともいわれたが、日本で出した特許で世界事業を展開していたところ、ある日突然米国から、「その特許はもっと前にうちが発明していたんだぞ・・」というレターが届くというのは、よく聞く話だ。

そうした産業界の一般論だけでなく、筆者の経験からしても、国立大学の特許出願というところで、米国との違いを痛感したことがある。

それは、国立大学法人化前、大学特許出願の費用をどう工面するか、という議論をしていた時である。

「先願主義」の日本では、特許の権利を確実なものにするには、一刻も早く出願しなければならない。

しかし、特許をとったからといって、ライセンスや事業化でリターンが出る特許などごくごく一部にすぎない。

かくて、企業がその発明をほしがるかどうか事前にマーケティングするのが一番効率がいいということになるのだが、そうすると、今度は情報が漏れて、他社に抜け駆けで出願される恐れが出てくる・・。

といって、研究者からあがってくる全ての特許出願依頼を、回収の見込みも無く応じていたら、出願費用がいくらあっても足りない・・というので、堂々巡りになった。

そこで、米国ではどうしているのかと調べると、これが「先発明主義」なのであった。

すなわち、発明ノートを完備して、発明の記録(日付)をきちんと残しておけば、あわてて特許出願しなくてもよい。

企業が本当にライセンスをほしがるかどうか、事前にマーケティングをかけて、行けそうな発明だけ、出願する。

事前の選別により、出願の費用は抑えられる。

・・ということで、日本の国立大学は今後どうしたらいいのか、大変苦慮したことがあった。

幸い、国立大学法人化を契機に、大学特許の出願料には優遇措置が施されたので、現時点では、負担は軽いものになっている。

むしろ記事が本当なら、米国の大学や企業は、「先願主義」への対応を迫られるだろう。

「先願主義」に手馴れた日本の機関にとっては良い話だし、このチャンスをこそうまく活かしてほしいと思う。

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2006年9月22日 (金)

利益相反④

(9月15日から承前) さて、利益相反の可能性を最初からゼロにしようとすると、そもそも何もやらないほうが良い、ということになりかねない。

それでは、有用な活動を営む機会自体を、失うことになってしまう。

利益相反は、理念としては回避すべきものだが、実務の現場では、黒と白の二分法で完全に線引きできるケースだけとは限らない。

また、利益相反は、全ての行為が、法律に抵触するというわけでもない。

(取締役の忠実義務のように)法的に規定されているものもないわけではないが、それよりも、お互いの「信用」や「名声」を用いて歯止めをかけることが現実的だ。

利益相反の可能性は排除できないにせよ、その可能性が顧客や取引先などの関係者に周知徹底されていれば、信用の毀損は回避できる。

この場合、顧客や取引先は、相手の利益相反リスクを事前に織り込んで、行動できるからだ。

この場合、前提となるのは情報の公開と透明性の確保だ。

「隠れて利得が追求できる」状況を作らないことである。

利益相反の可能性がどこに発生し、その状況でなぜそのような行動をとったかを、関係者に説明できることが大事だ。

当然、基本的な考え方を作成し開示しておくこと、手続きのルール化、利益相反の可能性がある行動に対してのセーフ・ハーバー・ルール整備、内部の監査、定期的および迅速な情報開示など、が求められる。

畢竟、透明性や説明力(アカウンタビリティ)を高めることが、利益相反問題を解決する最も有効な方法なのである。

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2006年9月21日 (木)

ハーバード大学の資産運用

昨日私立大学の資産運用について書いたところ、また今日の日経金融新聞で、ハーバード大学の資産運用に関する記事が掲載されていた(9月21日付け11面)。

これによると、同大学の基金の2006年6月期の運用収益は、プラス16.7%を記録したとのこと。

過去10年間の年間平均投資収益率にいたっては、15.2%という成績で、これはすなわち元本が10年で4倍以上になった計算である。

実際は、運用収益から大学運営に向けての拠出があり、逆にまた入ってくる寄付金があるので、残高金額は単純に4倍ということではないが、それにしてもすさまじい運用成績である。

下手な投資信託や投資顧問など、及びもつかない。

言うまでもなく、この利回りは、資産の7割以上を株式、ヘッジファンド、未公開株式、国際商品から不動産にまで、分散投資した成果である。

そのため成功報酬を設定してプロの運用者を雇ったが、あまりにも成功しすぎて、学長を超えるまで報酬が高騰し、それがためにクビになる、というオチまで付いた。

それはともかく、こうした潤沢な資金が研究資金や奨学金に回り、研究成果に結びつき、優秀な人材を世界中からひきつける。

今後の少子化やネットによる知識拡散社会を考えると、わが国の大学もまた、こうした世界の大学との競争が現実味を帯びてくる。

大学もまた世界競争の荒波とは決して無縁ではないし、資金力は(それだけではないけれども)きわめて有力な道具の一つとなりうるのだ。

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2006年9月20日 (水)

私立大学の資産運用

今日の日経金融新聞一面に、「慶大、ヘッジファンド投資」という記事が出ていた。

記事の真偽のほどは別にしても、私立大学の資産運用の手法が、多様化の兆しを見せている、ということの表れだろう。

大学資金は、保守的な性格を持つから、基本的には元本保証が望ましいということになる。

とすれば、商品としては、大口定期預金とか債券が中心となるだろう。

しかしながら、現状は低金利時代である。

多少なりとも利回りを求めるなら、ある程度のリスクを取る必要が生じてくる。

まして、学生の減少、研究予算の厳しい査定、先行投資(研究施設・校舎の建設、優秀な研究者の確保など)を考えると、資産運用へのプレッシャーは、今後も高まることが予想される。

ということで、記事を見ると、私大の場合、外債や仕組債といった商品での運用はすでに見られるようだ。

まず、外債運用であれば、これは為替リスクを取っていることになる。

仕組み債は、為替や金利が一定水準をヒットすると繰上げ償還や利払い中断するといった特約条項がついているようで、すなわち再投資リスクや利息変動のリスクを取っていることになる。

こうしたリスクを引き受ける代償として、ハイ・リターンを狙っているわけだ。

もちろん、これがどんどん発展して、株式のような変動幅の大きい商品にすぐ展開するということにはならないだろう。

とはいえ、外債や仕組み債でも、1~2%程度の変動リスクは、既に取っているわけである。

全運用資産に占める株式の割合を上限で数%に限定すれば、株式自体の変動は何十%あっても、資産自体の変動幅をやはり一定範囲内に抑えることができる。

こうしたポートフォリオ全体の考え方に立てば、リスク資産を組み入れることも不可能ではない。

おそらく難関は、その運用を行う人材を確保できるかどうか、あるいは成果が振るわない場合の責任をどうするかといった、組織側のほうにあるように思われる。

米国の私立大学のように、運用収益が、学費、研究予算、寄付と並ぶ収入の柱に育つには、まだまだ時間がかかりそうだ。

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2006年9月19日 (火)

mixiの上場

先週、ソーシャル・ネットワーク・サービス(SNS)を提供するMixiが、株式を上場した。

会員数500万人ということで、話題は呼んでいたものの、はやくも2,000億円を超える時価総額がついている。

こういうネットワークの上に個人が集う形式というのは、パソコン通信時代のフォーラムから始まって、掲示板(2ちゃんねるなど)、メーリング・リスト(これも廃れてきたけれど)、ブログと形をかえながら、今はSNSが旬になっているということだろう。

加えて最近では、FlickerやYouTubeに見られるとおり、静止画・動画の投稿サイトも、集客力を強めている。

アイデアの原型は同じだが、テキスト・オンリーから画像処理などの機能も加えてよりスケールアップしていく、という道筋を通っている。

そういう意味では、SNSも、日本において、出るべくして出てきたサービスといえる(もっとも、事前にそれを見抜くことはなかなか難しいが)。

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ところで、今回のMixiは、ネット系では久々の大型上場だったが、あいかわらず産学連携は蚊帳の外だ。

笠原社長は東大出身ではあるものの、同社のSNSビジネスは社会人となってから、構築されたものである。

Googleのように、大学での研究成果がビジネス化されたものではない。

コンピュータ・サイエンスの本丸において、日本は、まだまだ米国の産学連携の厚みの前では、敵ではないというところか。

もう少し、頑張っていかなければならないようだ。

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以下はぜんぜん余談だが、先週ある投資銀行のバンカーと飲みに行っていて、上場初日に初値を付けに行く投資家は、どんな人なのだろうという話になった。

普通の機関投資家(金融機関の運用者)が、新規上場株を初日に買うことは、まずない。

個人の投資家が中心になるのだろうが、公募価格の2倍くらいまで買いあがって、その辺が初値天井になることも多いから、よくやるなあ、という感想だった。

あいにく、知り合いにはそういう投資家はいないので、相変わらず不思議ではある。

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2006年9月15日 (金)

利益相反③

産学連携における利益相反を考えるにあたって、参考となるのは、私企業内部での利益相反問題だ。

典型例は、企業の取締役である。

取締役は、その企業の業務や利益拡大に貢献しなければならない立場だが、しかし一方で、特権的・優越的立場を利用して、個人利得を追求することも不可能ではない。

例えば、取締役個人あるいはその関連する会社が、当該企業と有利な取引をすることによって、個人に利益を移転しうる。

もちろん、そんなことをされたら、企業の関係者(株主や従業員)はたまったものではない。

従って、そうした事態を防ぐために会社法は、取締役に忠実義務を課している。

会社の犠牲の上で、自己の利益追求はできないのだ(やれば法律に違反してまう)。

大学内部に目を転じても、例えば、予算の私的流用などは、厳しくチェックされる。

これも、公的な資金と自己利得の追求という、利益相反防止がねらいだ。

このように、従来でも、産も学のそれぞれの組織内において、利益相反の可能性はあった。

そして更に今回は、産と学の連携という、両組織のはさまで利益相反が問われることとなってきた。

産学の利益相反をいかに回避するのか、そのルールと体制が問われているのである。

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2006年9月13日 (水)

利益相反②

利益相反とは何だろうか。

簡単に言えば、一人の人物ないし組織が、二つの相反する立場におかれていること、しかも、そのうち一方の立場を犠牲にすることで、もう一方の特定の利益を追求することが可能だという状況である。

もとより最初から一方の立場にのみ依拠するということで、旗幟が鮮明になっていれば、利益相反問題は生じない。

しかし、異なる顧客の間に立つ、公的責任と私欲の追求にはさまれる、といった複数の立場に立つと、利益相反の可能性が生じてくる。

例えば、A社がB 社を買収するというM&Aを考えてみよう。

ここに両方から信頼を得ているCという仲介者がいたとする。

しかし、A社はどうしてもB社を買いたいと思っているのに、B社は買収されたくないと、考えていたら、どうだろう。

あるいはB社が同意したとしても価格は高く売りたい、一方のA社はできるだけ安く買いたい、とそれぞれが考えていると、これも相容れない。

あちらを立てればこちらが立たずで、Cにどのような仲介手段が残されているだろうか。

この話は空論ではない。実は、つい数年前まで、日本企業の間のM&Aを仲介した銀行や証券会社は、この仲介者Cの立場をとることが、多々あったのだ。

仲介者Cは、両方の会社のメインバンクをやっている、とか、あるいは両方の会社の主幹事を務めているということで、両者から信頼を得る立場にあったのだ。

かくして、Cが落としどころを考えて、A社もB社も「Cさんがそこまで言うなら」ということで、シャンシャンと手を売ったのである。

ところが、最近のライブドアとフジテレビ(ニッポン放送)、楽天とTBS、王子製紙と北越製紙、などに見られるように、「食うか食われるか」の世界が出現すると、銀行や証券といえども、中立的な仲裁など、もはや不可能だ。

結果は、銀行も証券もどちらの側に立つのか最初からはっきりさせる、一方の代理人となってその顧客の利益最大化を目指す、ということになった。

M&Aの世界において、仲介型は消滅し、代理人型が主流になったのである。

まさに今日、M&Aなどにおいても、利益相反問題は無視しえないところまで拡大し、それが様式を決定する時代に入ったのである。

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2006年9月12日 (火)

利益相反①

産学連携において、大きなテーマの一つとなるのが、利益相反問題だ。

一般に、産と学の連携は、社会に対する新しい価値の創出と提案という大目標において、成り立ちうる。

 しかしながら、それを達成するプロセスにおいて、産業界は利潤追求、大学は学問の探求と、それぞれ異なる動機付けを持っている。

それゆえ、両者を引き離すベクトルが働いていることには、注意が必要だ。

それが端的に噴出するのが、利益相反の状況である。

大学の公共性と私企業の利益追求、大学研究者の職責と個人利得の追求、など、産学連携においては、様々な利益相反状況が見こまれる。

利益相反への対応を誤ると、産学連携の理念をも台無しにしかねない。

更に、この問題で研究者が大きなリスクを感じてしまうと、そもそも産学連携に最初からブレーキがかかってしまう。

したがって、今私たちに求められているのは、産学連携を進めつつ、利益相反という副作用をうまく押さえ込むことである。

利益相反をマネージし、適切にコントロールすることが、求められている所以である。

次回からその基本的な考え方を探っていく。

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2006年9月 6日 (水)

特許帰属⑩

(8月22日より承前) 特許の帰属は、個人から機関(大学)へと大きく変化した。

その流れを簡単におさらいして、現在の我々の立つ位置を確認しておこう。

嚆矢をつけたのが、1980年の米国バイ・ドール法成立である。

当時、米国では、経済競争力の低下が懸念されており、その対抗策の一つとして、産学連携に注目が集まる状況にあった。

そのため、大学の技術移転を促進すべく、バイ・ドール法は、特許の機関帰属を打ち出したのである。

以後の米国の産学連携、TLOの活動、ベンチャー隆盛は、知られるところだ。

日本では、米国に遅れること20年、まずは99年に、日本版バイ・ドール法(産業活力再生特別措置法第30条)が作られ、その後2002年に知的財産戦略大綱や知的財産基本法の制定、2004年には国立大学法人化と、ようやく技術移転の制度整備が進んできたところである。

その点、制度という側面から見ると、米国並みになってまだ数年しかたっていないわけだ。

しかも、制度作りの時点では、専門家、関係者含めて、かなりのエネルギーを費やした。

現状は、それが一服して、小康状態に入ったため、知財関連の話題は、何か盛り上がりに欠けるような感じすら受ける。

ある意味これは健全なことで、制度作りから、地道な運用の局面に入ったとも言える。

こうした個々の努力は、マスメディアなどには現れにくい。

真の成果が問われるのは、さらに5年先だろう。

この間、バイオ・ベンチャー・バブルが弾けるなど、産学連携の成果に厳しい目を向ける向きもある。

雌伏期こそ、手を抜くことなく、制度の恩恵を最大限に活用して、努力を続けることが重要だと思われる。

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2006年9月 5日 (火)

PCの歴史に学ぶ

最近、ある若手のエンジニアとプログラムの話などしていて、「西和彦氏が・・」と話をふったところ、「それは誰ですか?」と質問されてしまった。

言うまでもなく、マイクロソフト黎明期の日本の販売代理権を獲得して、その爆発的成長に貢献、アスキーの創設者であり、孫正義氏最大のライバルだった人である。

くだんの若手エンジニアは、もちろん優秀なプログラマーでもあり、「マイクロソフト」も、「週刊アスキー」も、「孫正義」氏も知っているが、「西和彦」氏の名前は知らないのであった。

まして、日経新聞などで報じられているとおり、最近のインターネット系ベンチャー起業家は、「76(ななろく)世代」と呼ばれる30歳前後が中心になっている。

彼らのアイコンは、グーグルであったり、あるいは一時的にはホリエモン(?)であったりするわけで、80~90年代の歴史など眼中にないのかもしれない。

実際、今日、ビル・ゲイツが引退を表明し、インテルもAMDの追い上げを食らっている。

ウィンテルの強さも、もはや歴史の一こまである。

同じく、西氏のアスキーも、不動産投資を含む闇雲な拡大戦略を取って破綻する。

最後は、セガ(CSKグループ)に吸収され、表舞台からは姿を消してしまう。

名前を知らないという人たちがいるのも、当然と言える。

しかし、アスキーのたどった道を、そっくりそのままホリエモンがなぞって破綻(アスキーには粉飾決算は無かったけれども)したのを見ていると、つくづく「歴史は繰り返す」という感じがする。

インターネットの技術はドッグ・イヤーで、「過去にこだわる者は未来を失う」を地で行っている。

が、いかに技術が新しくても、人間の本性は変わらない。

だから、似たようなことが、これからも、何度も何度も繰り返されるのである。

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2006年9月 4日 (月)

日経ビジネスのバイオベンチャーの記事

日経ビジネス最新号(06.09.04)に、バイオベンチャーの記事が載っている。

「上場バブル弾け、行き場失うバイオベンチャー~誰が金の卵を殺すのか」という記事だ。

これによると、株式を上場しているバイオベンチャー16社中、黒字を計上しているのはわずかに3社とのこと。

株式上場時に多大の期待を寄せられながら、その後業況が好転しない。

業を煮やした新興市場も、上場基準の敷居をあげつつある。

当然その不振は、上場前のベンチャー・キャピタル投資にも及ぶことが予想され、今後のバイオベンチャー振興に赤色信号というところだ。

明示的に書かれてはいないが、バイオベンチャーには、大学技術を基にした大学発ベンチャーも多い。

バイオブームにあてこんで、00年代前半に創業した企業の多くが、これから難局に直面することとなる。

■      ■      ■

これで、連想されるのは、01年以降のネットベンチャーバブルだ。

強烈な下げ相場とベンチャー破綻が増加したが、同分野は04年あたりから復活。

来週上場予定のSNS最大手Mixiのように、次世代企業が順調に育ってきた。

ネットベンチャーが有利だったのは、投資資金が小額ですんだこと。

この分野は、標準的にいって、1~5億円の資金があれば、十分だ。

他方、バイオベンチャーは、創薬を筆頭に、ワンショット10億円単位、標準でも数十億円の投資となる。

もちろん、リスク事業である以上、浮き沈みはやむをえない。

いずれは、また有力なバイオベンチャーが現れることもあるだろうが、そこにいたる潜行期間は、ネットベンチャーに比べて、長く重苦しいものになるかもしれない。

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2006年9月 1日 (金)

東大の秋葉原拠点、人工知能

先日、人工知能の研究会があった。

場所は、東大オフィスなのだが、本郷でも駒場でも柏でもなく、なんと秋葉原。

情報理工が、秋葉原ダイビルの13階に入っているのだった。

このビル、上のフロアにずっと日立が入っているハイテクビルで、隣には巨艦ビルのUDXや、高層マンションの東京タイムズタワーなどがある。

いわば、アキバ再開発のど真ん中なのだ。

というわけで、期待していたのだが、オフィスそのものは、(小奇麗だけれど)いたって普通、ちょっと肩透かしだった。

■      ■      ■

さて、メインのプレゼンは会議室で行われた。

AIを社会に役立てるという趣旨で、防災や農業の管理などへの応用例に関するプレゼンテーションがあった。

面白かったのは、岐阜から来られた神成先生のプレゼン。

ぜんぜん知らなかったのだけれど、イスラエルの農業がおそろしく進んでいて、センサーの配置で水の管理から収穫の指示までデータベースに基づき集中制御ができている、というのは、ビックリだった。

ネットでどんな情報でも拾える時代だけれど、こういう「アテンション」をいただかなければ、そもそも問題意識にものぼってこない。

やはり人の話を聴くのは、収穫が大きい。

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