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2006年7月10日 (月)

サイエンスとエンジニアリング①

最近、世界中の大学や研究機関で、研究成果のねつ造事件や、資金の使い込みといった問題が起きているようだ。

研究開発の重要性が叫ばれ、より具体的な成果を求められる風潮が強まって、研究者にかかるプレッシャーも、以前より大きくなっているのだろう。

とはいえ、問題解決の切り札として、一律に研究者の監視を強化すればいい、というものでもない。

外部的な牽制は必要ではあるが、現実問題として、それ相応のコストもかかってくる。

なにより、研究の実用化要請が高まることに対して、研究者自身の内発的モラルをいかに維持するかが、問われているのだ。

ある研究者から聞いた話だが、そのために有効なことは、研究開発における「サイエンス」と「エンジニアリング」をきちんと区別することだという。

この二つでは、難易度、研究期間、予算配分、成果の尺度、などが異なる。

従って、研究者にかかるプレッシャーの質も、成果に対する考え方も、本来的には異なってくるようなのだ。

では、両者には、具体的にはどういう違いがあるのだろうか。

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まずサイエンスをとりあげると、これは基礎的な事象の発見に力を注ぐものだ。

そのフロンティアは、誰も考えたことも無かったテーマを手がける、事前に予期できないような現象を発見する、通説を大きく裏切るような技術を実証する、といたところにある。

しかし、これはある意味、自己矛盾をはらんでいる。

例えば、事前に「予期できないこと」が、どうして事前に「研究計画」として提出され、あるいは事前の「予算申請の対象」となるのか?

一つは、優れた研究者はいろいろな仮説を立て、その面白さやそれが証明されたときの有効性で、計画を提出するということだ。

しかし、画期的成果が出るには、それだけでは足りない。

やはり、予期しなかった運や偶然が、彼方から到来してくれないと大化けしにくい。

我が国のノーベル賞受賞者の事例をみても、白川教授や田中耕一氏の発見は、そもそも間違った配合が、常識破りの発見につながってしまった、と言われる(ただし、その間違いを間違いで終わらせない感度の鋭さやたゆまぬ努力があるのであって、もちろん偶然の行幸だけではない、念のため)。

とにかく、こうしたサイエンスの研究者は、いつ成果が出るのか予期できないことをやっているのであり、運と偶然の女神も必要だ、と言える。

従って、サイエンスにあまり短期的・即物的な成果を要求すると、予見性を高めるために最初からバーを低くした漸進型の研究計画を提出して予算取りに走るか、あるいは、途中のプレッシャーからありもしない成果をでっちあげるか、といった誘惑にかられやすくなる。

優れた研究ほど、予算をつけたからすぐに実用的成果がでるというものでもなく、失敗を大目に見ることも含めて、やはり長期的な粘り強い視点が必要とされるのだ。(続く)

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